森屋諒(鍼灸師)のご紹介

はじめまして!

 

鍼灸師の森屋諒です!

 

今回は私の自己紹介をします。

 

 

 

私は、

 

4歳から高校3年生までの14年間

 

水泳をしていました。

 

 

 

幼稚園の年中の時に、

 

バタフライが一番得意になりました。

 

それから、専門はバタフライになりました。

 

 

 

本当に練習が嫌いでした。

 

とにかく、持久力がないんです(泣)

 

それは引退するまでそうだったのですが…(笑)

 

 

 

小学校6年生の時に、

 

50mバタフライでJO標準タイムをギリギリで突破し、

 

初めてJOに出場しました。

 

 

 

JOではタイムが飛躍的に伸び、

 

B決勝に残り全国16位になりました。

 

とにかく嬉しかったです。

 

 

 

しかし、

 

この頃から肩が痛くなり始めました。

 

病院にも通いましたが中々良くはなりませんでした。

 

 

 

それからは、

 

練習についていけない自分が、

 

更についていけなくなりました。

 

 

 

休み休み泳ぎ、

 

ある程度のところでプールサイドに上がり、

 

ストレッチなどのケアをしていました。

 

 

 

全国で見れば大したことではないですが、


中学校2年生の時に、

 

今でも人生の自信になっている成功体験をしました。

 

 

 

千葉県新人体育大会、

 

1ヶ月前から、

 

毎日あることをイメージして練習していました。

 

 

 

50mバタフライで、

 

「優勝」「大会記録樹立」「JO標準タイム突破」

 

スタート台の前に立ち、

 

壁にタッチして電光掲示板を見てその結果であるのをイメージしました。

 

 

 

結果、

 

全てイメージ通りになったのです。

 

 

 

小学校6年生の時のJOの結果は、

 

結果的にって感じでしたが、

 

千葉県新人体育大会は自ら成し遂げたと思える

 

人生初の成功体験でした。

 

 

 

そんな経験をした頃、

 

肩をかばっていたせいか、

 

腰が急激に痛くなり始めていました。

 

 

 

病院に行って検査をすると、

 

「腰椎椎間板ヘルニア」

 

と診断されました。

 

 

 

それからは、

 

もっとコンディションが悪くなり、

 

バタフライから自由形に転向することになりました。

 

 

 

なんで、

 

あちこち痛くなるのかと悩みました。

 

 

 

やっぱり、

 

コンディションが良ければ、

 

どのように成長していたんだろうと思うことはあります。

 

 

 

でも、

 

今となっては良かったなと思っています。

 

なぜなら、医療の道に進むきっかけになったからです。

 

 

 

どんなプロのアスリートでも、

 

才能だけで選手を続けられてるのではない。

 

自分を支えてくれている医師や治療家のように、

 

裏方がいるからだと気付いたのです。

 

 

 

高校3年生まで続けられたのは、

 

本当に支えてくれる人がいたからなんです。

 

 

 

専門学校に進学し、

 

鍼灸師の資格を取得しました。

 

 

 

専門学校を卒業してから、

 

千葉県柏市にある治療院に勤め、

 

修行をしました。

 

 

 

その治療院の社長は、

 

過去に競泳日本代表選手のサポートをしておりました。

 

それがきっかけで、

 

競泳のマスターズ大会でマッサージブースを出したりした経験があります。

 

 

 

その治療院を退社し、

 

24歳の時に千葉県千葉市にある私の実家の一室で、

 

「もりや鍼灸院」を開業しました。

 

 

 

そして現在、

 

チームメイトだった小川雄介と川西章文と、

 

「-競泳専門- ケアサポートチーム RAY」を結成しました。

 

 

 

また治療家として競泳に関われることに、

 

とても喜びを感じています。

 

これから、よろしくお願いします!

 

 

 

-競泳専門- ケアサポートチーム RAY

森屋諒